moiを萌説とか思い
私という意味の環境もあり
萌をテーマに、他方でフォークロアー記事を書いた。
'よせる'という言葉を自分のほうにひきよせる意味合いで使うあり方を意外であった事をおもうが、相手の基準に'よせる'という意味合いで使わないあり方は多いのだろうか
萌という言葉が、社会的にテーマに感じるのは、対害意というモチーフとか
一心同体という意味を一個人に対して用いる時には、相手を有さない恋心ににている
つまり、萌という表現は、相手への表象なのか、あるいは加えて自己の内面に宿るというモチーフがみられる
人類史的にみて特有の現象かどうかなどなど
自己管理能力をみるときに、自分のココロなどが、身体性と関連してととのえられているかどうかは、生活的なリアルであり、生体における心理が与える影響とか言い方をわざわざしなかったりする
暑いから夏休みの自由研究にしていこうかなあ何かを
便宜上休まねば
温暖化とか言われていることだし
便宜的に明日分の日誌も投稿