「忘れてた」と言葉した時、「思い出した」と言う事でほある。
日本語の慣用句というのって、少々とおまわしなところが多い。
日本によらないか。たとえば。
「欲しい時に限ってないんだよね」と言う時に、「欲しい」という基準が発生している時でないと有る無しのテーマがうまれていないのだから、確率的にどういう事?
モラトリアムの子を見い出しつつ、自分は謎が多い子なんだろうか。謎と秘密は違う。
成長におけるモラトリアムの他に、テーマを紐解く時も、解かれるまでモラトリアムである時期を言い回しできるが。
環境の記憶を読みとるとしたとき、地球でみると人類史とか意識史みたいなモチーフがくる。哲学というのは、全人類的な平均的な意識史とみると関心深かった。比較的浅い歴史のように思える。それはある場合続いていくものを意味している。
本によりまとめかたに差異があるか。
ミュトスからロゴスへという観点からしぼるが。具体化や個体化の発生があるとみなすときには、当事者が着手しているというモチーフがある。どこへいきたいの?という条件を意識化しないときには、自身の願望を論点に投影しているものだが。願望に客観性など、あるのだろうか。いえるのは、倫理がテーマになる。
イエスにおいて、キリストというテーマが個体化していくとみて、まずテーマがおかれたそれを誰がとるのかという問答が比較的繰り返される。十字架と復活と昇天の経験値は、どこへ活かされるのか。
キリストがイエスへ個体化したとして、逆にイエスにおいての人格面は霊化して、人間性の代表として心理的にモチーフに以降も出来るカタチという説にみると、その続きをイスラム哲学に見いだすこともあるだろうが、その続きの続きを古事記にみつつ。キリスト以前のユダヤ主義などと比較的におもう。
磔刑後のイエスは霊としてのイエスをきりはなしているのなら、質的には同じではなく、むしろキリスト的なのだろうか。表記上イエスという言い方になる。
それはさておき、パン食のほかに焼き魚とか増やしつつ、おにぎりをパン屑みたいだなあとか生活にたちかえり思いながらも。古事記ってコプト語っぽいなあとか感じたら、竹取物語の参考原点のように自分には提示されてしまった。古典読んでくのだろうか。
三位一体というテーマから四位一体というテーマが、ユングとかからもよみとけるのだが、第四というテーマをモチーフ採用しつつ、三位一体で四者としてここでは書くが。磔刑でいうと三者の十字架を被ったマリアという視点で3+1という解読のようなこと。ユダヤ主義、キリスト教、イスラム哲学ときて日本神話というフレーズで今回はあらわした。基本的にはマリア信仰的な面を解釈していて、マリア性を獲得することに性別は関係がないとして。
抑圧の形骸化、制御の矛盾、意志が哲学の蓋然性。これらのリスクをおさめた条件の提示をよみといた。
古事記の前文とかの三とか一とかでてくるところの記述を参考にしました。
それから三神、命、、、と。漢字が、、、。
あ、そういえば。。「あ」か文章にするとき書かないか、またやってしまった。
キッチン系動画みてて、『最後の晩餐』を楽譜に見立てての音声化みたいの聞いとると、、聴いてたら日本のかおりして。「うん」
「あうん」にながれでむりやりしてみましつつ。『サルバドールムンデイ』とかそういえばユング自伝に言葉みた気していろいろ、、調べなくてもいいか。
ゴールデンウィークだし。まあ。
時系列がムズい。