なので
幅広い年齢層にうけいれられようとか、細部にこだわろうとか、どうして思うのかよくわからないままだから困る
前回続き。受動態・中動態・能動態から派生して関係性の区画整理。
あとは、対話性・関係性・当事者という問題の有無があるか。
前回は、環境という対話性を中動としてアクとゼンの対置。
では、アクとアクやゼントゼンは?
アクどい形成にアクどいしうちというとドロ沼だ。たとえば正当な責任追及がゼンだが、それとはちがった解決をとるアク。アクに対してだから両者ともカガイ主体ということだが。
アクの分類。侵害性、排他性(非社会性)、害意性(反社会性)。
侵害性は例えば抑圧。「私はある」というタイプのたとえば悪い例。いい例はたぶん発達をほしょうしたありかたで「私はある」というタイプ。あるというのはビーイングだろうか、ウェルビーイングとか言葉そういえばあるか。この抑圧と制御タイプに対してとれる立場のひとつは抑制。
排他性はたとえば心理的な攻撃性。これは支えをさしだすのとはまるで違う。ついていかなくてもいいとおもう。
害意性は、わかりやすいモデルだろう。
以上は簡単な分類。とくに根拠ないので、うのみにしないでくだされ。
前回とかから何書いていいか悩み。宗教ディスれないし。ディスれるかディスれないかのテーマって意外と普遍的に存在していて。アーティスト文化なんて権能?が顕現してるときなんてディスれないかんじとか。リスペクト文化とかは色々あるか。推し活という信仰生活とか、あとは。
こういうサブカルっぽいたとえばなしもバカにならない。
いまや全方位的にみんな当事者だったりすると、関係性ふまえて解決にむかうかどうかを、どの程度問題にしているのかがある。
関係者ではないという場合もあるし。
対話性において、現在進行形かどうかや。
不当に優遇されることをのぞんでいる相手だとフェアではなく、特有の思いをする。