RUMIKAKOBO(center’s blog)

架空の工房日記 wonder for reboot

NOW ON AIR(2024.03.12)

統合失調性をかかえはじめている多くを、自称一般から見出すのだが

わたしの障害が、セケンの逆立ち状態に対しての抑圧被害からだとすると、かたがわりさせてきた条件が現れ出すのは当然なのだが

自分は経験者だし、わかることはせまいはんいだけどいくらかアドバイスしたり、支えられているのだろうかわからない

 

自分は、一定の範囲を寛解といったらいいのだろうか。心理的な後遺症みたいになってる範囲もあって。だけれど、そもそも私の障害がトラウマからなら、後遺症というのはメインのテーマだ

退院後の福祉や病院のサポートでは、これはテーマにされなかった。その時期ですら負担で、トラウマになる範囲すらあったのだ。

C-PTSDだとか、発達的なトラウマ障害とか、言い方や定義域はともあれ、長期的な抑圧からの長期的な障害性というかたちでの理解をしているが。自分は統合失調症と診断され、実際に生活面での障害性があるから福祉のサポートもうけてきているが。

 

それはさておき

 

テーブルにコップだらけになり

全部自分でついでるのだが

これおもしろくて

イラストアプリとかやったことあったりするとわかりやすいのだが。デジタルでも、アニメもそうか。複数枚を重ねて一つの絵にしていたりする。いまはコップのはなしからたとえて統合するという説明なのだけれど。

これは、環境形成でいうとカケモチしていることのあらわれ。その場合に、理解して解決できるということ。

そととかでも、環境て、複数の利用者がいて、利用の仕方も複雑。それをぜんぶ統合する必要があるかはまちまちだが。それを言いたいのではなくて、各環境もさまざまな層みたいになっていたり。

フィールドワークやってとそうだけど、ながれがどこどこで合流していて、とか。

 

ながくなった。今日の予約投稿もまだだし、明日に投稿予約しとくか。日記風

 

 

追加

日記というあり方を怠ってしまったか

準怠りだよねきっと

ユニークな発想もうまれなくはない

題名かえての追記

 

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カレンダー届いた!

こういう機会でもないと個人のアルバムつくる機会なかったなあ

冊子つくるブログ入稿の処でたのんだらクーペンとどいて、チケットかなあ

 

定期購読のものと同時にとどいたものだから、その雑誌付録みたいなカンジに、わたしのなかでなってしまった

 

錯誤

 

ということで。

前回までのふりかえり

ラストには、自分があてつけたことが自分にかえってくるのは、本人がそのカゲをつくっているから、という内容からは

非独占というのは、障害的規模にもいえて、きちんとしてる側の責任にはならない

こういうテーマではなかったのだが

 

フォークロアブログのほうを、やすみフィールドワークというテーマで書いてきて、フォークライフという言葉をしり、またフォークロアブログのほうも再開した。というか予約投稿をつんでくだけなのだが。

出版で時間差ある感覚を擬似体験してるか

 

ラジオではないのだけど、ラジオみたいにNOW ON AIRってかんじで日記はとびとびにでも