日本神話を神道部分のパートをよみとり、仏道と関連して陰陽ととらえたよみときで進めるが
聖書神話として作用しているパートを現代的な推理ではどうなるか。
・まず、磔刑においてしか物的に見えない条件、磔刑においてしか物的に見渡せない条件があうとして、生活者の環境。声が響いて、そのような問いかけ方をする者たちを私はもうしらないのだと質問者側を幾度もつきはなしなき、以降も、磔刑における者を批判的にみなしていた部分があったとしても、まだ多くの無関心さよりは重きを置いている時にはテーマを取り戻し続いていくものをよみとくキーをえる。
・現代的には、二者だけでいる時の記述は、誰が証言したものか。誰かの証言をそのままにしたのか、あるいは。ぼこられた当事者の容姿は判別できたのかどうかや、そもそもの本人のすがたをしっていたのかどうか。
ここで論点の喪失。読み解ける限度があり、それは論点の死にひとしいかもしれない。
・その後、約束された聖霊の復活。下着というのが庭師というテーマのモチーフ的な解答として下着や服飾のモチーフをフォークロア的によみといていこうとおもうが。
(社会条件上のモチーフとしては、中庭からながめていたとされるそのときの位置付けの者をそれであるとするのが現代的には)
・それからのキリストにおける地上生を見る時に、昇天というケースがむしろ物的な内面を天の方面として黄泉降下といったモチーフ。
性別の観点からみると、女性たちが男性性を得る、男性たちは女性性を得る、というのが平均的な解答のモチーフとしてみられ。
第二のアダムや第二のキリストといった言い回しのスタイルを見かけたりもするが。
生地にもパターンというのがある。下着や服飾の発展の歴史とさまざま年代をみていくと興味深くあった。
死んだ肉体にキリストという星が強固し、生存している時、イメージとして天地は逆転している。聖霊に保護され生体性を維持しているとき。
日記みなおしてて、1年前の本にカカセオという星テーマみたいな文献を偶然みかけ。セオというとシーオウルとかセオリツ(姫?)とかあるが。香香背男と書くと男という字が際立っている。男性性というあり方に背く星星というのは、どういった葛藤のモチーフにあるのだろうか。
色味でいうと(訂正削除)を発想したが。(追記。黒とかピンクとか、黒と紅だとゴスっぽいし、あとハロウィンとかかー)
マンダラというのを下着や服飾の色味やデザイン性と関連してみたり。音楽学をモチーフ分析するのもおもしろいものだ。
最近ではみんな、色々しめだそうとしすぎなきらいがあるものだが。