RUMIKAKOBO(center’s blog)

架空の工房日記 wonder for reboot

令和6年5月19日

前回、昨日だか、は、性の人権課題

性別の、ではないところがミソだろうか

人権問題でなく人権課題とした

テーマという事だ

今回は聖の人権テーマにしようかなあと考えつつ

神権?とか

 

少々戻りつつ、性が人に所属しているのかどうか、となる

では神に所属しているのか?とか

定義によっては人間を性別でみてそれを性であるとしているから、こういうテーマてまずは限界がある。他者の性をも自分のものとしたいという心理だ。ではこちらもこうした論じかたでそうしようかとしているといってもそうでもなく。自然の機能性のような実質として性自体というテーマで扱っている。人間は、それを踏まえてデリカシーをもてるといったモチーフだ。

自然界に美とかを認めるし、それは自然界における性のみにつけといったフレーズ。

そういったイメージで。

観念で語ってるし、客観的な範囲、言い方がどうであれ、しめしたいさきの実態はある。

誰に語るわけでもなく。

 

性質の性をこれとしてみると、性生活的な性によらず、生活全般に及ぶ。生活全般のモチーフをいわゆる性的にみようという逆流ではなく、性生活的な色合いで見てない性質といった要素も様々な機能性をもって機能できる能力が何に由来するのか、ということ。

逆に逆流した方面では、あらゆるフェチ性というのはサブカルとかでもある。ある意味この場合、文化的な範囲では高度な客観化があり、性に対しての友愛条件がみられる。作品にもよるけれど。ロックな作品はけっこう好きだ。かっこいいし、表現としてなりたってるやつ。