《存在する対象に対しての品性は科学的だ》という言葉が、フォークロア記事での結論みたいなかんじに
じゃあ存在しない対象はどうなんだよ、とかなるが、そういうんでもない
こういうのって正確にあらわわすのって思っている以上に難易度マックスかも
存在してなくても扱ってると、存在してる気がする
無神論とか。むしろ信仰からはなれた客観知をはなからできるがゆえの葛藤?みたいなー
近親憎悪ってけっこうあるなあと界隈
もったいなあ
コイにえさやる気を逃し自分にエサあげてるのだが
動物が食いもんもってきたとき自分用なのかどうか
動物側が食ってたら一緒にそれを食べたりはしない
というのをどう考えても、イヌのはなしにとんで
自分がイヌで、ご主人は?って連綿性なのだが
へりくだるというテーマにいい
血縁とか、みるひとがみればあきらかだと
かくすもなにもなかったりするものだが
血縁自体が大切だということではない
と思うし、能力を有効化するのは選択だろう
誰もがブレンドか。あるとしても、血に記したものを継承できるのはけっこう強力なやりかたのひとつだろうが。血自体なのか、記せるメディアというなら血統もまた霊統のようなもので、霊的な内容を血に記し継承するのならオリジナルは霊統の内容を便宜的に血を媒介としているといったより軽度な認知になるが。ある能力などは使い方でよくもわるくもなるし、たとえば毒親から継承されている素材性が自分にあったところでではその質をわるくいかしてる毒親がいて自分はまったく別次元でいかすこともできるときにそれは。
毒親を親とみなさない私がいるけれど。自分のことはともかく。一般論。
いろいろ歴史あるものって、ためになるためだという理由が世間的だろうが
それ、いつためにすんのって
わかってるひとたちがきちんとわかってなんかがんばってればいいのだろうか
ペンギンのはなしまで書けなかった、
鈍色って何色のドーナツ色だよ
自分くらいになるとドーナツにうなされる
さかなたべてたら好きだからさかなすきかというとペンギンになれたかんじになるからだと、好きっていってもわからないものがある
場所にいて何を見ているかを、そこにいた誰かのおもいとかを?
時間だー
追記
5月っすーーー