RUMIKAKOBO(center’s blog)

架空の工房日記 wonder for reboot

NOW ON AIR(2024.03.16)

ラジオのりで日誌(文章)

 

サイトをつくりつつ

https://sites.google.com/view/rumikakobo

同人誌つくると、奥付けっていう欄があって、発行者、発行元、連絡先、印刷会社とか、明記が義務付けられているかどうかはしらないけれど、慣習的でわかる範囲でもある

その界隈の慣例にそって、サークル用のアドレスを、といったながれ

アートとか、海外ひろがりで、美術館とかしらべたり

アニメ文化のアートのほうは、SNSとかで英語のものとかをはいりでみてるのだが

個人的には、国際からの日本文化みなおしでキラキラってかんじ

 

今日のコーヒー

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AIに甘やかされている気がする

勧められたやつとか買っちゃうんだよね

ありがとう

 

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フィールドワーク。

つづき、、

が、とくにないな

どこめざしていたのだろうか

一応は、どこか目的というよりも、プロセスというと響きはいいけど、厳密にはなんか違うかも。日々の進めなくてもたがやしてく生活のいま優先なメイン。でも、いまというと、いまだけよければみたいな意味合いに曲解されてしまうこともあるし、むずかしくはないのだけど。

 

なんでこれ手に入るかなーとかの本とかあり。もうそこまで資料収集はしてないけど、同じ条件で、工夫すればみんな出来た時期のこと。それ思うと、自分と境遇がにていて、やってこなかった人とかをとても残念に感じる。

資料収集にかぎったらはなしではないのだが。

古書とかもそうだし、環境の維持ってあって、それは能力である場合もあることで。恣意的かどうかを疑いだしたらきりがないし、恣意的かどうかを判断できない自分の能力のなさからその範囲の自分をみきったりもしているのだが。

願望という要素があると、無意識的な願望の反映て、何にでもあって。

おもしろいのは、いい偶然というのが、善意から発生するのではない場合もある点。

 

善意は善意で、普通にやってればいいことだし

問題にならない

きちんとできたのだからそれで満足だろ

っていう

たしかにそうかもしれない

 

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二年目も日誌つづくかなあ

ブログ冊子にして個人的にたのしむべく書きためていくかんじなのだが

去年のとか出来て、まあまあ読みごたえある

 

月本ルリア