自尊心おおめな方面へでくわすと
なんか気後れしてしまって
たしかに着膨れはしていたのだが
日誌をみかえすと
同じコーヒー画像をのせてたり
それも気づかず
破綻具合とかよくわかる
あとあと疑心暗鬼になったところで
そのときにきちんとなしてしまっていると
責任をとらなくてはならなくなる
こういう言い方になる時点でアウトなのだなあという範囲とかありつつ
管理できない範囲がでてきてしまった
もののみえかたがかわって
生活周辺のことをととのえていくのが最近
物的にも、スカスカに色あせて条件づけていく主体ていて、マルトリートメントとかいうのだが。かなり障害と、困難さがある
なおも、こちらはあたえるのだから、とりかえせなくなることが、でてきてしまうのに
自分は精度を失っているかというと増してるし
明示度合いが不親切になるというありさまだけれども
いろいろ色んな意味で処方されつつも
自分が思うほど体調の障害とか克服されていないという。
つえ必要なときもあるのだが、平気なときはふつうにもってないじゃんみたいな、そういうのも理解されなそう
えー。これはすき家か、間違えた
寿司屋にスイーツあるノリのかんじだよね
えーと、アンダーなブラフでカフェしつつ
コーヒーのみきり
のみきれないときのために、水筒とかもちあるこうかなあとかおもいつつ
スタバのワンモアとかって、テイクでできんのかなあ
いろいろしらべものしつつ
推しの応援とかって、自分の存在を知らせるか知らせないかとかあったりすることがあると
しらせていない応援の範囲とかのほうが、一般的に多いのかもしれない
放置育成とかって、文化表現的な言い方だけど
フォークロアの冊子も記録用に自分用につくり
日々のながれで書きながら、テーマをまとめない記述のスタイルも、一長一短ある
小説だとまたちがうスタイルだし
アートのほうにかんしては、配布するとこまではもっていこうとはしている
しんどいっていうことが最近心地よくある、自分のなかのことにたいしてはおしかえせることが