後悔しているようなことをふりかえると、あやまりのたぐいの後悔ではもちろんないが
文学かいてきて作品に本のかたちにして、排除したパートもあり、気づいたら自分の体調無視してすすめている。人権的でなく、ゆえにおさめられない。というポリシーなのだが。
そういうことも、あるのだなあとしる。
自分は粗末に扱ってもいい、という美学みたいなことが、とおらない場面である。
一般的には、そもそも論なのだが。
平和になったものだ。(場合によりヒニク的)
最近て、推し文化。尊いを推すことの尊さ推し?リードするメインを演じたり目指したりの時代とも異なるような、また場合によってはみんな前にたちたくない。
ファンがおこたりだした以前の段落を忘れてるだろうとおもうものだが。
むずかしいことはおいといて、いい条件は活かしたい、いまも
筆者の成長物語でもあるのだからというポイントをふりかえると、リアルにセイサクというのは、作り手と受け取り手にわかりやすいような段落を組むようになっているのだなあと
文学セイサクに去年とかやり、経験者として。