おむね印象の受胎みたいな表現か
画像工程のせてみた
画像のせすぎなのよくなかろうかとかおもいつつ、へんな自分ルールをひとまずむし
男性でも女性的とされてるおむね印象を物的にではなく、というアイデアなのだが。この世界観では一般性としてる。だから女性に特化した身につけで男性側に身につけを損失させる条件とかあるし、一般性としてのモデルと女性特化モデルとの区別があったり。いろいろ考えてみてくれー。めんどう。
いずれにしろ、性的な印象のサクシュ的な身につけて生理的な不具合とか、性別かかわらずある。西洋と東洋のちがいとかもあって、いまではむしろ関係ないけど。性にかかわらず様式テーマてあるし、関係ないとはいえ、いっぺんに全部がきりはなされるわけではないから、その場の当事者の課題があるし、たちいらないことも倫理的にどう判断してるかとかある。
はなしそれたか。おむね印象の受胎とか言葉しつつ。これって心ということなら、それはそれで、それと同時にまたいろいろ考える。都とか里とか、心理的なひろがりの比喩表現でいう時には、情緒とかが、カラダに紐づいて体現されるという言い方。
別ブログでの文学を夏期休暇に。なんかはじめてあきらめたかも。自分にしては珍しいと思う。