典型的な負けん気表現をこなしつつ
ひびひよりつつ
ここでもめてもなれあいなのでーていうのがおもむきぶかい
変な冗談いえなくなってきた
冗談がへんだから、重複表現になる、、、
からの、説明
理論と論理のの違いで納得した
ダブルと2つあって、文化性がポジティブで、社会条件でネガティブな場合は、いい意味でのポジティブだがおもいの重複はわけられる
悪い条件でのネガティブだが、わるいというよりも未成立をあらわしているか。「なんか缶コーヒーが缶コーヒーだった」と感想すると、その形式を学習するときに、あてはめてる。
「言い方の枠組みをまなんでいて、まなんでいるのだ」という時には、理論とその枠組みである論理という形式の違いある。学問上の葛藤とかでこうしたフレーズて多くあって、把握した。
あと、何々人という言い方が面白いのかもわからないしおかしくはないかしらない
冗談で、何々人ならやりかねねーな、とか言っていて。これは職人技とかのこだわり率を評価するセリフとしてなのだが、ここでは。
何々人ていうとき、文化を言いたくて、その文化センスを呼んでると、とくにフィジカルな人種の話には程遠い。センスを学習して、とかあると。
サブカルどうしの会話とかは、自分の場合、ポップでライトでキュートな他愛のない他意のないものにとどまる。そういうのわかる間柄とかだと。
教会とかでハチとかハナに語りかけられつつ、どこにつながるのかそのときわからずやだったが。
はちみつとか、フラワーオイル?みたいなののを今みていこうとしてておもしろ
星座とか
自分の場合こっちつながるのかーとか
なんかひねくれてるみたいなかんじになんだよにーいつも