RUMIKAKOBO(center’s blog)

架空の工房日記 wonder for reboot

when i クローズ your 曖昧ず(令和6年2024年6月21日分)

けっきょくは男女百合という風潮に

ノベルのモチーフにもした

 

日記のタイトル、次なににしよう

ルリアージュとか

 

ビジュアル系にいたった

レトロ文化模索していたら

何系?というフレーズが、この回答をもとめていたのだろうか

で?ってなると、わからぬが

 

メインもサブもモブもこなしつつ

 

同じような場面で、癒されにいくか懺悔しにいくか、たいしょうてきなあり方があるとすると

ひらきなおって癒されにいくのは猟奇性を意味する場合もある

やり直せるというのは、なかったことになるのではなくて、認めてそのなかでかえていけること

そうした観点をもちえない環境にリスクを感じた

虚栄心から美も健康も搾取的に身につけ、心理的に心理をころすような攻撃性をむけつづけることは、支えるというあり方とは真逆のあり方をしている。そうした規模の破綻は、心理環境を問題にしないというあり方でとおされてる、物質主義とかいわれているがそれすら演技性。

そういうケースにおどろいてきた

サクシュ的に性的印象のみにつけをし心理環境を不安定にしひらきなおっている、そうしたあり方を批判的に見ていても、いやらしい見方をしているとして承認欲求へとかえている、性を軽んじているあり方というのは心理的なカガイ条件に常にある

真逆のことをしてる

 

 

 

 

 

 

 

when i クローズ your 曖昧ず(令和6年2024年6月19日分)

いまどきオトコでももっとみだしなみとかきちんとしてるだろってくらい自分はちゃんとしてない

こういう表現もはいジェンダー差別でーすてなるし

自分のこととはいえあながちディスれなくなりつつ

あながちの意味少々ちがうか

 

あとは同人誌提供環境を、、韻踏んだ?

デジタルもあるを、ほかのブロガーさんとかの、読みつつ

模索中

 

エレクトリックブルー

象嵌(もくぞうがん)

を、調べつつ

 

*その他

自分はジェンダーの葛藤とか無いし、様式自体採用してない。それらの様式をも否定せんし、それも多様性のひとつだ

ただ、女性的と思われているお胸印象は、性別無関係に身につけられるモチーフがある。物的なカタチでなく、それは心理的なカタチだから印象としてだが

男性ブラ市場でまわるまでノーブラかも(半分冗談)。女性もノーブラ文化とかもある。

こういうのは書いてきて、自分ではまた書くのか感あるのだが

いろいろてのひらかえしの方々もいるし、かといって環境単位でみると、とくに同じ人が相手にもなっていないときにいらいらしてても理不尽なことか

人間なめすぎだろって人間とか、

なんだかなぁ

 

予約投稿オチ、、にせず明日分として投稿

when i クローズ your 曖昧ず(令和6年2024年6月20日分)

フォークアートしらべをみなおしつつ

 

サークル同人

基本的に百合なのだよなあと思う

「アイドル感情」という言葉を考えつきつつ、心理的な印象でのお胸感なら、この心理のサイズって何

へんなはなしでもないのだけれど、性別関係なく女性的とみなされているお胸感を物的ではく印象でみにつくとなると、逆に男性側の身につけから女性側が参考に身につけるとか場合もでてくる。これって厳密に何なのかと言うと、そもそもはじめに男性側も女性側を参考にしていることもなかったり一般性土台だと。

一般性足場に多様性がある場合と、分断的な足場とだと違ってしまう。

女性モデル。一般性モデル。

 

 

心理的虐待環境がずっとあって、ネグレクトとか。

マルトリートメント、抑圧侵害とか、で、しらばっくれっていう虐待加害者の態度。

法的にいったら職業の自由て認められていて、なおかつもはや努力目標でもなく出来る時点でおこたりだした層てあると思っていて、自分はそういった家庭で離反し、家族や親としては認めてない。修復不可能だしそのつもりもなく。

入院して退院し、自分が健康で働けたはずの、またこれから働けていたはずの収入などをつぐなえるのか問うこともしたが、社会面での解決を選択しない相手がいて、そのまま健康破綻した相手がいた。逆にこちらが社会面で相手に責任追及していなかったらもっと悪い状況になっていたのは自分ではわかる。

こうした環境を問題にしつづけてこなかった環境もあって、こうした侵害抑圧者をもう無視できない条件にたたされたときに、ある意味自分ほどはきちんとしたおりあいとか配慮を出来ないようなケースもみられる。これって、時代的な問題を明らかに無視してきた結果であり、不倫理なことだ。

心理環境という項目をまずおりこむことと、それからだと思う。

 

現状はもっとひどい。固有の私の環境によらず、社会環境全般が。リアルに言及できないことで多いし。

自分たちから悪化して、それがその人たちの勝ちであるのだ、といったあり方である。

 

そういうなかでも

リアルにきちんとした世代をみいだしもする

相対化して、いつの時代もと言えないこともあるのだとおもう

成人したら、以降はオトナ扱いということであり、時代的にコドモでモラトリアムだった時代はすぎ全体で成人した扱いかなあと。

そうしたときに、常に前の時代と比較してということがとおらないケースもある。

メインの意識をもちつづけているあり方もある。

ある意味サブとしての役回りをきちんと出来る最近のデリカシーから比較すると、メインであることを文化的なメインモチーフとして成長学習してきた層ともまた違ってくる。様式的差異?

ゆえに彼らは今でもメインなのだと思う。

 

 

when i クローズ your 曖昧ず(令和6年2024年6月18日分)

貧乳と頻尿を兼任しつつ

これからもアマチュアノリで

品乳と品尿か

品があるとはあまり自分では言わない文化にいる気もする

乳(ちち)をディスる冗談内容もさすがにここでは書けないなあという範囲も自粛してる

せつない

デリカシーよ

貞操感よ

永遠なれ、、(R.I.P)

サブカルでこういうきついジョークとかの会話センスの表現てあって、文化なのだ

きついといっても友愛ベースがあるからこそをキテイとしている本来があるものだろうが

 

ダークモチーフの好みってあっ、、明日分の下書きか、ここまでか

ここから今日から

、、、デリカシーないな。あらためよ

マチュアて調べたらプロよりイイのでは?とかありつつ

意外と成年枠でないほうがキラキラ感ある表現多い同人誌とか思いつつ、

軌道修正できてないかも

 

肉まんにマヌカハニーあうなあとか食事しつつ

チャーハンへのおもいをまだわすれてはいない

 

グループアイドルへの所属はありません

普通に中年男性だし

サブカル同人活動をおひとりさま

 

アイドルといっても、アイドル声優とか同人でコスプレとかする人もいるし

アー写風の写真とか個人でつくってるあたり、とくにいろんなボーダーもないのかもしれない

 

リハビリで入稿作業とかしつつ

お絵描きセラピーみたいな時期から

同人誌ようやく出来(感謝)

内容が、ポップに紹介できるかんじではなく

どうしてこうなったのだろうか

 

マチュアてインディーズともなんか意味違うし

なんなんだろあれ

 

when i クローズ your 曖昧ず(令和6年2024年6月17日分)

マチュアていう言葉を使えば便利なのかあ

と、今更ながら気づいた

場合によってはディスられている感を感じたり、自らへりくだるような感じでゆうこともある

シーンによって使い分けるか

どこでつかえばいいんだろうか

マチュアバンドとかあるか。音楽バンドでなくても、仕事のはいりで、チーム的な出来事はあったりする。場合によってはアマチュアバンド結成だ、気づかずとも

あれ、文章つづかない

恣意的か

貧乳を品乳と言うのあったなあと思い、頻尿を品尿と言葉をおきかえたら、健康テーマが発見された

頻尿が品尿かどうかはわからないが、品のある尿というのは、食生活の指標みたいなモチーフになり

考えつつ、色チェックとかは知ってるか

お茶飲みつつ

このながれでのせるとなんかあれか。そういうこといわなければ平気か

植物の尿がお茶だったりしてとか思いつつも


f:id:zoneb:20240617045618j:image

f:id:zoneb:20240617045621j:image

ハーブティーだったかなあ

ブルーベリーてフルーツの中でもミントなかんじして(個人的な感想です)

ミントやハーブ系に興味とびつつ

セントジョーンズワートティーだったかな

この期に陰陽とかのテーマを自分で発見しつつ

西洋哲学とかからみてきて、地方性でいえば歴史とかある範囲もあるが、パターン的には現代で平均的に学べるセンスとかもあり

あれ、お茶のはなしとつながってないか

お茶つながりでいろいろありそう

この後コーヒーのんだら意外と合った(個人的感想です。飲み合わせ注意。ひとによります)

コーヒーとか興奮作用があるからNGみたいな界隈多そうだ

えーと、貧乳のはなしか。天候て、意外と地球の排泄にあたる現象なのではないかとか思いつつも、地球の貧乳てなんだ?品乳か。はなしのながれぶっこわれてんぞ。

さて、地球を擬人化する考え方てあるが、人間にたとえているとすると、人間て意図的に動かすわけではなく機能している範囲と意図的に動作させている範囲というのがある。あと意識的な克服とかも。

 

怪談とか時々ききかけつつ、おりにふれて、とか。あの段落は何なのだろう。

なんらかの時間ぎれとか、現状打破心理だろうか、自分の場合。

あー、ゲームやんなきゃ

では

ご自愛をと

when i クローズ your 曖昧ず(令和6年2024年6月16日分)

緑茶は、私にとっての青汁です

文法のケーススタディみたいになってきた

ケーススタディの意味違うか

 

ハーブティーハーブティーしつつ

これ、名詞が動詞になってるパターン

 

いろいろな時間ぎれがあって、時間ぎれまであまりなにもできない

執筆作業にしばりつけながら

 

思い出したが

出来なさそうな時には、出来なさそうな方を選択する率がたかまるらしい

むしろ想定外の解決を模索するのなら、それもそうなのかもしれない

 

パズルゲームとかも

とりあえず変化をとかのシーンなどもあり

 

日曜はじまり

when i クローズ your 曖昧ず(令和6年2024年6月15日分)

典型的な負けん気表現をこなしつつ

ひびひよりつつ

 

ここでもめてもなれあいなのでーていうのがおもむきぶかい

 

変な冗談いえなくなってきた

冗談がへんだから、重複表現になる、、、

からの、説明

理論と論理のの違いで納得した

ダブルと2つあって、文化性がポジティブで、社会条件でネガティブな場合は、いい意味でのポジティブだがおもいの重複はわけられる

悪い条件でのネガティブだが、わるいというよりも未成立をあらわしているか。「なんか缶コーヒーが缶コーヒーだった」と感想すると、その形式を学習するときに、あてはめてる。

「言い方の枠組みをまなんでいて、まなんでいるのだ」という時には、理論とその枠組みである論理という形式の違いある。学問上の葛藤とかでこうしたフレーズて多くあって、把握した。

 

あと、何々人という言い方が面白いのかもわからないしおかしくはないかしらない

冗談で、何々人ならやりかねねーな、とか言っていて。これは職人技とかのこだわり率を評価するセリフとしてなのだが、ここでは。

何々人ていうとき、文化を言いたくて、その文化センスを呼んでると、とくにフィジカルな人種の話には程遠い。センスを学習して、とかあると。

サブカルうしの会話とかは、自分の場合、ポップでライトでキュートな他愛のない他意のないものにとどまる。そういうのわかる間柄とかだと。

 

教会とかでハチとかハナに語りかけられつつ、どこにつながるのかそのときわからずやだったが。

はちみつとか、フラワーオイル?みたいなののを今みていこうとしてておもしろ

星座とか

自分の場合こっちつながるのかーとか

なんかひねくれてるみたいなかんじになんだよにーいつも