昨日の汚いお金という記述に、後から疑問し
誤解されそうだが
お金に悪さをさせることはなく
それは投影でしかない
扱う個人のあり方が投影されるのだ
そうした対象は金、性、物、など様々
誤解されることができるのは、その対象のある意味で友愛に基づいているようにもおもう
言いたいことは、お金自体を悪には出来ない基準があること。基準によっては常に扱う側の悪
バラバという言葉を、パターンだけみると、言語のつくりとしては回文系であり自己投影のモチーフを位置づけているのだろうか
必然的に、竹取物語を、14のドローサとの対応で比較して記述してみたいのだが保留
オリエンテーションとセレブレーションという言葉がある
ブルースカイという言葉を略すとブルスカで、ルースカとか、紅葉(コウヨウ)の意味であるが、青空のほうをメーンにすえていたらいがいか
フィーカとか、ドイツ語だかでキリスト化とかはいってるかなあとか妄想してたら、ひたして食べる文化様式とかおもいだし
そうしてわたしは脱線していくのだろうか
ドーナツ買いに行ったら、なんか食いしんぼうみたいになってきた
社会形成のドーナツ型のモデルとかは、消費者でいうと、ちょっと違う視点の層ととびつく層の二つからなるというモデルとかもあり
組織や文化とかでも似た規模がみられることもある。あるいはトップはメーンとサブいるタイプとか
食文化は辿ると、動物信仰とか崇拝とか、でてくる
生活テーマにもどすとして
ファン心理的に、なんかなついてる相手みたいのでてきて、'まちがっていてもついてくぜー'とかサブカルノリでおもいながらも、誤解されそうな言い回しだが、偏りを調整しあえる前提