神に見捨てられても、神を見捨てなければいいはなしなのだろうか
ルールを守っていると自負しながらも、そのようではないときに、形骸化という言葉での指摘がある
ミュトスと書いた。mythos
mythは神話という意味だ
照れ隠しするあり方をおもい、天照の岩戸隠し?のフレーズを思い出して
神話というものを、各経験とか体験とかの場面時々として解釈するのも。
タイプやモデルや。神話というのか、特定の書類というのが、そういった書かれかたをなされている
日本で神在(有)月と神無月のはなしをときにきくが。飛躍して、神無しという神を想定してみるものだが
・アル神の他に神ナシという神
自分のここでの記述というのは、自分になんらかの信仰心があったとしても記述上のポリシーとして無縁なのだが
社会学的にみていく
個人が、プライベートからパブリックを身につける方向と、パブリックからプライベートを身につける方向。両者が拮抗する条件がある。
実は公共性を身につけていないあり方のパブリックもプライベート、つまりは私物化態度の常態化。これは、単純には、社会生活性をもつものを私物化しているとみなすまでにいたる。
個人を長方形であらわしてみたが、正方形から長方形へと成長。また、外面をおおうイメージでの心理裁量と内面にやどるタイプでの心理裁量とのイメージ。空間把握的な間合いの客観性の不在において、たとえば物理的身体性のみの知覚に自身をしばっている。ゆえに、おおう心理性はないものとして扱われる。
環境というのを、心理環境をないものとして扱う相手に対しても、環境側に自分はつくとしたときには、いい環境とわるい環境が実際にはあるが、わるい環境を維持する層というのはその自己がうみだした環境を把握できないていがある。だろうと。
イラストの最近がおもしろく
つい絵描きこんでしまう。治療されている場面とかで、無心になれることが肯定されたりもするものだが。
何かに夢中になれること、とか。平和だったらずっとそれでもいい気がするけども、さあ。
五芒星を立体化という挑戦。前後関係が整合性あるか不明だがとりあえず。概念的にはわかるだろうか。
六芒星だとこうした奇数性におけるランダムさがないというのかなあ。
自己の内面方向へ神的な深みを見出し出すというのは、自分が神であるみたいなとらえかたになるとかなりはきちがえたストーリーになってくる。
性の名誉のために書いてみるが、たとえば性というのも内面での受胎だ。カラダを器だとすると、外界から性という性質を受容するという見方では。たとえば太陽が起源だとすると、夜が性生活的なカテゴリされるのは下から暗いときにはその光を受けとるからといった疑似科学性でおもえもするか。
性で記述するとリスキーだから、心性として書くか。
心は固有だが、それを構築する素材性の共通とは。
内面への具体化をおびるときには、個性、と、きれいごとをいったところで、実際にきれいかどうかはまるわかりであったりもする。エゴや偏りは、モラトリアムというステージの間にととのえられるという。
矛盾があるだろうか。心理環境を認めないとしているあり方が自身の心理は優遇しているというありようというのも。
主導権モデル、かまってちゃんモデル、優越感モデル
虚栄心、嫉妬
後悔、せつなさ
7タイプをおもうが
嫉妬をもつものに対して後悔をかんじるもの、虚栄心をもつものに対してせつなさをかんじるもの、も。
ぬいぐるみで「あしらう」のと「もす」のとのデザイン性の違いをみた
ブログの内容が日記とは程遠くなってきている。おさきまっしぐら