RUMIKAKOBO(center’s blog)

架空の工房日記 wonder for reboot

日記(令和6年2024年9月7日)

今日もマイアルバムより


f:id:zoneb:20240907043245j:image

f:id:zoneb:20240907043241j:image

f:id:zoneb:20240907043248j:image

f:id:zoneb:20240907043237j:image

f:id:zoneb:20240907043314j:image

f:id:zoneb:20240907043321j:image

f:id:zoneb:20240907043318j:image

f:id:zoneb:20240907043310j:image

自分に許可を得ている

と思う

 

闘病ふりかえり記わすれていた

当時のSNSやってるひとがちらほらくらいでめずらしいほうだったかなあ

しばらくしてはじめて、それ自体が活動はじめみたいなカテゴリーもできるわけで。自分は文化的な主旨だが。

イラストとか、のせられるわけで。活動しやすいといえば、表現の場は増えたのだろうか。グッズつくれるし、とか。

 

サークル活動方面は

謎の執筆ノルマ感覚が芽生えつつ

年入り前に仕上げなくてはみたいな思ってる

文学と社会学方面みたいなやつとか

アバウト

 

フォークロア

個人のノスタルジーにつらぬかれていて関係がなく、除外する件とかもあるのだが

宗教しらべる気がなくても、多い扱っている人たちがいると、生活文化的に順番的にはみていくことになる

かんじがある

たとえば宗教自体を調べてるわけでもなく

自分の性格でているだろう

 

ニュースみてても、遺物の発見みたいなカテゴリーとか

研究者視点にながれがちに、、

もはや

怪談とかも、なんかきいてしまうのだが

こわくていけないやつとかあったけども

 環境の変容を第三者が演じさせられる気づかずに、とか、意識の科学も気みたいな観点いれると自己の体外的な力点とか考慮されてないかな